アドラー心理学とは何か

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――「嫌われる勇気」の先にある、人間理解と人生を生きるための心理学

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「人は変われるのか」「過去の経験はどこまで現在の自分を決めるのか」「他人からどう思われるかを気にせず生きることはできるのか」「人生において本当に大切なものは何なのか」。こうした問いに対して、非常に独特な人間観から答えようとした心理学者が、アルフレッド・アドラー(Alfred Adler, 1870–1937)です。

日本では『嫌われる勇気』をきっかけとしてアドラー心理学を知った人も多いでしょう。「課題の分離」「すべての悩みは対人関係の悩みである」「他者からの承認を求めない」といった考え方が広く知られるようになりました。しかし、本来のアドラー心理学は、単に「他人を気にせず自由に生きよう」という心理学ではありません。その中心にあるのは、人間は社会的な存在であり、他者とのつながりの中で自分の人生をつくっていく存在である、という人間観です。

アドラーが最終的に重視したのは、自分が他人に勝つことでも、多くの人から評価されることでもありませんでした。自分が共同体の一員であると感じ、誰かに貢献しながら、自分自身の人生を引き受けて生きること。この考え方こそが、アドラー心理学を理解するうえで最も大切な部分です。

本記事では、アドラーがどのような人物だったのかというところから、劣等感、目的論、ライフスタイル、共同体感覚、課題の分離、勇気づけ、そして「嫌われる勇気」という考え方までをつなげながら、アドラー心理学が人生について何を伝えようとしているのかを詳しく解説していきます。

アルフレッド・アドラーとはどのような人物だったのか

アルフレッド・アドラーは1870年、現在のオーストリア・ウィーンに生まれました。医師として活動した後、精神医学や心理学の領域へ進み、独自の心理学体系である「個人心理学(Individual Psychology)」を築いた人物です。心理学史では、ジークムント・フロイト、カール・グスタフ・ユングと並んで語られることが多く、初期にはフロイトを中心とする精神分析運動にも参加していました。

しかし、アドラーとフロイトは、人間をどのように理解するかという根本的な部分で次第に意見が分かれていきます。フロイトが、人間の行動や精神症状の背景に過去の経験や無意識的な欲動を重視したのに対し、アドラーは、過去だけを見ていても人間を十分に理解することはできないと考えました。「この人は過去に何があったから今こうなっているのか」だけではなく、「この人は現在、何を目指してこの行動を選んでいるのか」という視点を重視したのです。

1911年前後にはフロイトのグループから離れ、独自の理論を発展させていきました。アドラーの特徴は、人間を精神疾患や病理だけから理解しようとしたのではなく、家族、教育、学校、仕事、人間関係、社会参加までを含めて捉えようとしたことにあります。この点では、後に登場する人間性心理学やカウンセリング心理学にも通じるところがあります。

アドラー心理学はしばしば「人間主義的な心理学」と表現されます。人間を本能や環境に支配される受動的な存在ではなく、意味をつくり、自分なりの目標へ向かい、一定の範囲で自分の人生を選択していく存在として考えたからです。ただし、心理学史でいう「人間性心理学」は、後のアブラハム・マズローやカール・ロジャーズらを中心に発展した潮流を指すため、アドラー心理学と完全に同じものではありません。それでも、人間には成長する可能性があること、個人を全体として捉えること、意味や価値、他者との関係を重視することなど、両者には多くの共通点があります。

また、アドラーの「Individual Psychology」におけるIndividualは、単純な個人主義を意味するものではありません。語源的には「分割できないもの」という意味を含み、人間を思考、感情、身体、行動などに細かく分けるのではなく、一人の人間を統一された全体として理解しようとした考え方を表しています。人間はバラバラの機能の集合ではなく、その人なりの方向性を持って生きる一つの存在であるという点が、アドラー心理学の出発点になります。

人間は「原因」だけではなく「目的」に向かって生きている

アドラー心理学を理解するうえで特に重要なのが「目的論」です。私たちは普段、人の行動を過去の原因から説明することがよくあります。「昔いじめられたから人を信用できない」「失敗した経験があるから挑戦できない」「親に厳しく育てられたから自信が持てない」といった説明です。もちろん、過去の経験が現在の心理状態や行動に影響すること自体を否定することはできません。

しかしアドラーは、現在の行動を過去の原因だけで理解することに疑問を持ちました。例えば、人前で話すことを避けている人がいるとします。原因論的には「以前、人前で失敗した経験があるから話せなくなった」と説明できます。しかし目的論的に見ると、「もう一度失敗して傷つくことを避けるために、人前で話さないという行動を選んでいる」と捉えることができます。

ここでいう「目的」は、本人が毎回意識的に計算しているという意味ではありません。現在の行動には、現在の自分にとって何らかの機能や意味があるのではないか、と考えるのです。この視点を持つことで、「過去に傷ついたから仕方がない」という理解だけで終わらず、「この行動は現在のあなたを何から守っているのだろう」「別の方法で自分を守ったり、別の行動を選んだりすることはできないだろうか」と考えることができます。

一方で、現代の心理学や精神医学では、すべての精神症状や行動を目的論だけで説明することはできません。トラウマ、神経発達、遺伝、脳機能、社会環境などが人間の心理や行動に影響することは多くの研究で示されています。したがって、アドラーの目的論は「過去は一切関係ない」という主張として理解するのではなく、過去の影響を認めたうえで、現在の行動が持つ意味と、これからの選択可能性に目を向けるための視点として捉えるとよいでしょう。

この考え方は、「過去が人生を完全に決定するわけではない」というアドラーの人間観にもつながっています。人は親の育て方、学歴、失敗、失恋、いじめ、仕事での挫折など、さまざまな経験をします。それらは当然、現在の自分に影響します。しかし、同じ出来事を経験した二人がまったく同じ人生を歩むわけではありません。一人は「この失敗は自分に才能がない証拠だ」と考え、もう一人は「次に改善するための材料が得られた」と考えるかもしれません。

つまり、人は自分の歴史の影響を受けながらも、その経験にどのような意味を与えるかという点では主体的な存在でもあるのです。過去そのものを変えることはできません。しかし、その経験をどのように理解し、これからどのように生きるかについては一定の選択の余地があります。アドラー心理学が多くの人に希望を与えるのは、この部分でしょう。

劣等感は悪いものではない

アドラー心理学を代表するもう一つの言葉が「劣等感」です。一般には、劣等感というと「自分は人より劣っている」「自分には価値がない」といった否定的な感情をイメージします。しかしアドラーは、劣等感そのものを悪いものとは考えませんでした。

人間は誰でも、自分に足りないものを感じます。「もっとできるようになりたい」「今より成長したい」「もっと知識を増やしたい」と思うからこそ、努力することができます。スポーツを始めたばかりの人が上級者を見て自分の未熟さを感じ、「もっと練習したい」と思うことも、新人の医療従事者が先輩の技術を見て「もっと勉強したい」と感じることも、劣等感が成長のエネルギーとして働いている例といえます。

つまり、問題なのは劣等感を持つことではなく、その劣等感をどのように扱うかです。アドラー心理学では「劣等感」と「劣等コンプレックス」を区別します。劣等感とは、「現在の自分には足りない部分がある」という自然な感覚です。一方、劣等コンプレックスとは、「自分には能力がないからやっても無駄だ」「コミュニケーションが苦手だから人間関係を築けない」といった形で、劣等感を理由に人生の課題から退いてしまう状態を意味します。

ここでは「できない」という事実以上に、「できないから挑戦しない」という理由として劣等感が使われています。失敗を避けるためには、最初から挑戦しない方が安全です。その意味では、劣等コンプレックスにも本人を傷つきから守る役割があると考えられます。しかし、その安全性と引き換えに、成長や新しい経験の可能性も失われてしまいます。

さらにアドラーは、一見すると自信に満ちているように見える人の中にも、強い劣等感が存在する場合があると考えました。自分の能力、地位、人脈、学歴などを必要以上に誇示したり、他人を見下したりすることで自分の価値を確認しようとする状態を「優越コンプレックス」と呼びます。本当に安定した自己価値を持っている人であれば、常に誰かより上であることを証明し続ける必要はありません。他人との比較によってしか自分の価値を感じられない場合、その背景には自分の価値に対する不安が存在している可能性があります。

アドラーが考えた「優越性の追求」も、単純に他人に勝つことを意味するものではありません。人間には、現在よりも良い状態を目指そうとする力があると考えました。昨日の自分より成長したい、困難を克服したい、自分なりの理想に近づきたいという方向性です。問題になるのは、それが「他人より優れていなければ自分には価値がない」という競争に変わったときです。

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ライフスタイル――人は自分なりの「世界の見方」を持っている

アドラー心理学では、その人が自分自身や他者、世界、人生をどのように捉えているかを「ライフスタイル」という概念で説明します。ここでいうライフスタイルは、生活習慣や趣味の意味ではありません。その人なりの価値観、認知、信念、行動のパターンを含んだ、その人独自の人生の構えのようなものです。

例えば、「私は能力がない」「他人は信用できない」「世の中は危険な場所だ」と考えている人と、「私は失敗しても学ぶことができる」「必要なときには人を頼ってもよい」「世の中には協力できる人もいる」と考えている人では、同じ出来事を経験しても受け取り方が変わります。

上司から仕事のミスを指摘されたとき、「自分には価値がない」というライフスタイルを持つ人は、「自分そのものを否定された」と感じるかもしれません。一方、「失敗から成長できる」という考えを持つ人は、「改善点を教えてもらった」と受け止める可能性があります。出来事そのものだけで心理反応が決まるわけではなく、その出来事をどう意味づけるかが重要だという考え方です。

アドラーは、このライフスタイルが比較的早い時期に形成されると考えましたが、だからといって一生変えられないとは考えていませんでした。むしろ、人間は自分のライフスタイルに気づき、新しい行動を選ぶことによって変わる可能性を持っていると考えました。

ただし、変化は簡単ではありません。現在のライフスタイルには、その人を守る役割もあるからです。「どうせ自分には無理」と考えれば、挑戦して失敗する必要がありません。「人は信用できない」と考えれば、裏切られるリスクを減らすことができます。「自分は人見知りだから」と考えれば、対人関係に踏み込まなくても理由がつきます。変わらないことには安全性があります。そのため、アドラーは変化に必要なのは知識だけではなく「勇気」だと考えたのです。

「嫌われる勇気」が意味しているもの

日本でアドラー心理学を広く知られるようにしたのが、岸見一郎氏と古賀史健氏による『嫌われる勇気』です。ただし、「嫌われる勇気」という表現そのものは、アドラー本人が代表的な標語として使っていた言葉ではありません。アドラー心理学の思想を現代人に理解しやすく伝えるために使われた表現として考える必要があります。

そして「嫌われる勇気」とは、「他人から嫌われても好き勝手に生きればよい」という意味ではありません。本質的には、他人から好かれることや承認されることを、自分の人生の最終目的にしないという考え方です。

人間は社会的な存在であり、誰かから認められたり好かれたりすることに喜びを感じます。「嫌われたくない」「良い人だと思われたい」「認められたい」という感情そのものは極めて自然です。しかし、嫌われないことを最優先にしてしまうと、自分の人生を他人の期待に合わせて生きるようになります。親が望む進路を選び、上司から嫌われたくないために無理な仕事を引き受け、友人に嫌われたくないために本当は嫌なことにも同意する。すると人生の判断基準が「自分はどう生きたいか」ではなく、「他人からどう思われるか」に変わってしまいます。

ここで重要になるのが、「課題の分離」です。これは、自分が責任を持つべき問題と、相手が責任を持つべき問題を分けて考えるという発想です。例えば、自分の仕事を丁寧に行うこと、必要な説明をすること、約束を守ることは自分の課題です。しかし、それを見た相手が自分を好きになるか、嫌いになるか、どのように評価するかまでを完全に支配することはできません。

上司との関係でも同じです。仕事を丁寧に行い、必要な報告をし、改善点があれば改善するところまでは自分の責任です。しかし、それでも上司が自分を気に入るかどうかは、最終的には上司の側の問題でもあります。もし「すべての人から好かれること」まで自分の責任だと思えば、自分にはコントロールできないものまで背負うことになります。

課題の分離とは、他人に無関心になることではありません。自分が責任を持てる範囲と持てない範囲を区別し、他人の課題を必要以上に支配しないことです。その意味で「嫌われる勇気」とは、他人を無視する勇気ではなく、他人の評価を完全には支配できないことを受け入れる勇気だと考えることができます。

承認欲求、勇気づけ、そして横の関係

アドラー心理学では、他者からの承認を求める生き方にも注意を向けます。ただし、人から褒められて嬉しい、認められて嬉しいという感情そのものが悪いわけではありません。問題なのは、「認められなければ自分には価値がない」と考えてしまうことです。

他人の評価だけを自分の価値の基準にすると、評価されている間は安心できますが、少し否定されただけで自己価値が大きく揺らぎます。それよりも、自分の行動が何を生み出したのか、自分は何を大切にしたいのか、誰にどのような貢献ができたのかという基準を持つことが重要になります。

この考え方は、人間関係を「縦の関係」ではなく「横の関係」として捉えることにもつながります。縦の関係では、「上か下か」「勝ったか負けたか」「評価する側か評価される側か」という関係が中心になります。職場であれば、役職、年収、経験年数などがそのまま人間の価値の上下に変換されてしまいます。

しかし、上司と部下には役割の違いはあっても、人間としての価値に上下があるわけではありません。医師と患者、教師と生徒、親と子どもでも同様です。役割や知識、責任の違いはありますが、それを人間そのものの価値の違いと考える必要はありません。アドラー心理学では、こうした協力的で対等な関係を重視します。

この考え方から「勇気づけ」という実践も生まれます。勇気づけとは、相手が「自分にもできる」「失敗しても次に進める」と感じられるように支える関わりです。単に結果を褒めるのではなく、取り組んだ過程、工夫、努力、貢献などに目を向けます。

例えば「100点を取って偉い」と言うだけでは、結果によって人の価値を測ることになります。それよりも「最後まで取り組んでいたね」「工夫していたところがよかった」「助かったよ」「ありがとう」と伝えることで、その人が自分の力や社会とのつながりを感じられるようにする。教育、子育て、医療、リハビリテーション、組織マネジメントなどでアドラー心理学が応用される理由の一つです。

ただし、「アドラー心理学では褒めてはいけない」と単純化する必要はありません。重要なのは言葉そのものではなく、「私は上であなたを評価している」という支配的な関係をつくり続けるのか、それとも相手を一人の主体として尊重し、協力的な関係をつくるのかという点です。

共同体感覚――アドラー心理学の中心にあるもの

ここまで「嫌われることを恐れない」「課題を分ける」「承認を求めすぎない」と聞くと、アドラー心理学は非常に個人主義的な心理学に見えるかもしれません。しかし実際には、その反対です。アドラー心理学で最も重要な概念の一つが「共同体感覚」です。

共同体感覚とは、自分が社会や集団の一員であり、他者とつながり、自分にも何らかの貢献ができると感じることです。「自分はここにいてよい」「他人は敵だけではない」「自分にも誰かの役に立てることがある」という感覚と考えるとわかりやすいでしょう。

つまり、アドラーが目指したのは「他人のことを気にせず一人で生きる人」ではありません。他人からの評価に支配されることなく、それでも他者と協力し、社会の中で役割を持つ人です。自立と孤立は違います。自分の人生を自分で引き受けながら、必要なときには人を頼り、また誰かに頼られながら生きることが、アドラー心理学では重要になります。

この共同体感覚と関連して語られるのが「貢献感」です。人は、自分が誰かの役に立っている、自分の存在が何らかの意味を持っていると感じられるとき、自分の価値を実感しやすくなります。ここでいう貢献は、大きな功績を残すことではありません。家族の料理を作る、患者の話を聞く、職場を掃除する、困っている同僚を助ける、子どもの話に耳を傾ける、挨拶をする。こうした日常的な行動も共同体への貢献です。

人生の価値を「自分がどれだけ他人より優れているか」で測るのではなく、「自分がこの世界にどのように参加しているか」で考える。ここにアドラー心理学の非常に重要な人生観があります。

現代のアドラー心理学の解説では、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」という三つの視点が紹介されることがあります。自己受容とは、自分を無理に肯定することではありません。できないことを「できる」と思い込むのではなく、「今の自分にはここまでしかできない。では、この状態から何ができるか」と考える姿勢です。他者信頼とは、すべての人を無条件に信用することではなく、他者を最初から敵と決めつけず、協力可能な存在として見ること。そして他者貢献とは、自分の行動が誰かの役に立っていると感じられることです。

これらは互いにつながっています。自分を受け入れられるから他者と関われる。他者との関係があるから貢献できる。そして自分が誰かの役に立てていると感じることで、「自分はここにいてよい」という感覚が生まれる。この循環が共同体感覚を支えていきます。

人生の課題から逃げないということ

アドラーは、人間が生きていく中で向き合う必要のある課題について考え、「仕事」「交友」「愛」などの領域を挙げました。人間は社会的な存在なので、働くこと、人と協力すること、友情を築くこと、家族やパートナーと親密な関係をつくることなど、さまざまな対人関係の課題から完全に離れて生きることはできません。

しかし人との関係には失敗や拒絶もあります。そのため、人は人生の課題から逃げたくなることがあります。人との関係で傷ついたから「もう誰とも深く関わらない」と考えれば、確かに傷つく可能性は減ります。しかし親密な関係を得る可能性も減ります。失敗するのが怖いから仕事に挑戦しない、断られるのが怖いから恋愛をしない、批判されるのが怖いから意見を言わない。こうした回避は短期的には自分を守りますが、長期的には人生の可能性を狭めることがあります。

だからこそアドラー心理学では「勇気」が重要になります。ここでいう勇気とは、恐怖を感じないことではありません。不完全な自分のまま、失敗する可能性を抱えながら、それでも人生の課題へ向かっていく力です。

「完璧にできる保証がなければ行動しない」と考えれば、ほとんど何も始められません。しかし「失敗するかもしれないけれど、一度やってみよう」と思えると、人生の選択肢は広がります。アドラー心理学でいう変化とは、性格を一瞬で変えることではなく、次に同じ状況になったとき、これまでとは少し違う行動を選んでみることです。

人前で発言しない人なら、一言だけ発言してみる。人に頼れない人なら、一つだけ相談してみる。失敗を隠してしまう人なら、少し早く報告してみる。人から頼まれたことをすべて引き受けてきた人なら、一度だけ断ってみる。こうした小さな選択の積み重ねが、その人のライフスタイルを変えていく可能性があります。

人生は競争ではない――「普通である勇気」

現代社会では、私たちは常に比較にさらされています。学校では成績や順位、社会に出れば会社、役職、年収、住居、結婚、子どもの進学、SNSのフォロワー数など、さまざまなものが比較の対象になります。競争そのものが悪いわけではありません。競争が努力のきっかけになることもあります。

しかし、「他人より上でなければ自分には価値がない」と考え始めると、人生は終わりのない競争になります。世界には必ず自分より優秀な人、収入の高い人、容姿に恵まれた人、社会的地位の高い人がいます。そのたびに自己価値が揺らぐのであれば、安心して生きることは難しくなります。

アドラー心理学では、他人に勝つことではなく、自分なりの成長や貢献を大切にします。昨日より少し成長する、自分にできることをする、自分の役割を果たす、誰かに貢献する。そこに人生の価値を置くことができれば、他人に勝ち続ける必要はありません。

この考え方と関連して「普通である勇気」という表現が使われることがあります。私たちは「特別な人間になりたい」と思うことがあります。有名になりたい、尊敬されたい、人より優れていたい。しかし、「特別でなければ価値がない」と思ってしまうと、ごく普通の自分を受け入れることができなくなります。

目立たなくてもよい。一番でなくてもよい。歴史に名前を残さなくてもよい。それでも、今日仕事をした、家族を支えた、患者と向き合った、誰かを助けた、自分の役割を果たした。その人生には十分な価値があります。「特別であること」と「価値があること」は同じではありません。

「いま、ここ」を生きるということ

人生を考えるうえで、アドラー心理学から学べるもう一つの視点が「いま、ここ」を大切にすることです。私たちは、「大学に入ったら幸せになる」「就職したら幸せになる」「昇進したら幸せになる」「結婚したら幸せになる」「お金が貯まったら幸せになる」というように、未来の何かを達成することを人生の完成地点として考えがちです。

しかし、一つの目標を達成すると、また次の目標が現れます。人生をゴールへ向かう一本道のように考えると、現在の時間がすべて「未来のための準備期間」になってしまいます。

実際の人生は、将来の成功だけでできているわけではありません。今日仕事をすること、家族と話すこと、食事をすること、患者と向き合うこと、勉強すること、人を助けること。その一つひとつがすでに人生です。

目標を持つことは大切ですが、目標を達成した瞬間だけが人生なのではありません。「いつか幸せになるために今を我慢する」のではなく、現在行っている活動そのものに意味を見いだすことも重要です。

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出生順位と性格――アドラー理論をどう見るべきか

アドラーは、兄弟姉妹の中での位置、いわゆる出生順位にも関心を持っていました。一般的なアドラー心理学の説明では、第一子は責任感を持ちやすい、第二子は上の兄姉を追いかけるため競争的になりやすい、末子は甘えやすい、一人っ子は大人との関係が多くなりやすい、といった特徴が語られることがあります。

ただし、この部分は現代では慎重に扱う必要があります。大規模研究では、出生順位が成人後の性格を強く決定するという考え方について、必ずしも一貫した強い関連が確認されているわけではありません。そのため、「長男だから責任感が強い」「末っ子だから甘えん坊だ」と決めつけることは適切ではありません。

むしろアドラー心理学から学ぶべきなのは、出生順位そのものではなく、本人が家族の中で自分の位置をどのように経験し、意味づけてきたのかを見ることです。同じ長男でも、「弟を守る役割だった」と感じる人もいれば、「弟が生まれて自分の居場所を奪われた」と感じる人もいます。客観的な状況だけではなく、その人がその状況をどのように経験したのかを理解することが重要になります。

アドラー心理学を「自己責任論」にしてはいけない

アドラー心理学には魅力的な部分が多い一方で、使い方を誤ると危険な考え方にもなり得ます。「人は自分の人生を選択できる」という部分だけを強調すると、「うつ状態なのは本人がそう選んでいる」「貧困から抜けられないのは勇気がない」「トラウマから立ち直れないのは本人の責任だ」という極端な自己責任論につながる危険があります。

しかし実際の人生は本人の意志だけで決まるものではありません。病気、障害、遺伝、家庭環境、経済状況、教育機会、差別、災害、社会制度、偶然など、自分では選ぶことのできない条件が数多く存在します。

また、「トラウマは存在しない」という言葉だけが独り歩きすることにも注意が必要です。現代の精神医学や神経科学では、虐待、事故、災害、戦争などの強いストレス体験が、その後の心理状態や身体反応に長期的な影響を及ぼすことは広く認められています。PTSDという診断が存在することからも、過去の経験が現在に影響すること自体を否定することはできません。

したがって、現代にアドラー心理学を活用するなら、「人間は何でも自由に選べる」と考えるのではなく、「自分では変えられない条件がある中でも、今の自分に選べる部分は何かを探す」と理解するのが適切です。過去の影響を認めながらも、過去だけによって未来まで完全に決定されるわけではない。このバランスが重要です。

医療やリハビリテーションにも通じるアドラーの人間観

アドラー心理学の考え方は、医療やリハビリテーションを考えるうえでも興味深い視点を与えてくれます。例えば脳卒中や骨折によって、以前と同じように身体を動かすことが難しくなった人がいるとします。その身体機能の障害そのものを「気持ちの持ちよう」で消すことはできません。

しかし、その身体でどのような生活をつくるのか、何を大切にするのか、どのような役割を持つのか、誰とどのようにつながるのか、どのような活動に参加するのかという部分には、本人の選択や支援が関与できます。

これは、単に「障害をなくす」ことだけを目的とするのではなく、「障害がある中で人生をどのように再構築するか」を考えるリハビリテーションの考え方にも通じます。患者を「治してもらう人」として扱うのではなく、自分の人生について考え、選択する主体として尊重する。ここにはアドラー心理学と現代的なリハビリテーションの間に興味深い共通点があります。

アドラー心理学は科学なのか

アドラー心理学は、人間と人生を理解するための非常に魅力的な理論体系です。しかし、そのすべてが現代の実証科学によって確立された事実であると考えることはできません。

目的論、出生順位、性格形成に関する一部の考え方、「すべての悩みは対人関係の悩みである」といった強い表現については、科学的な法則としてそのまま受け取るのではなく、慎重に扱う必要があります。

一方で、社会的つながり、所属感、人生の意味、自律性、他者への貢献、認知的な意味づけ、自己効力感、行動変容など、アドラーが重視したテーマの多くは、現代心理学でも研究が続けられています。

そのためアドラー心理学は、「100年前に完成した科学理論をそのまま信じるもの」というより、人間と人生を考えるための大きな心理学的・哲学的枠組みとして読むと理解しやすいでしょう。

アドラー心理学が現代人に伝えていること

アドラーが生きた時代から長い年月が経過しましたが、その考え方が現代でも支持されている理由の一つは、私たちが現在抱えている問題と非常によく重なるからです。

現代では、SNSによって他人の生活が常に目に入り、評価が「いいね」やフォロワー数などの数字として可視化されます。職場では昇進や給与、学校では成績、家庭では子どもの進学、生活では住宅や収入など、さまざまなものが比較されます。

私たちは以前よりも、他人の評価にさらされやすい社会を生きているともいえます。

だからこそ、アドラー心理学が投げかける「あなたは誰の人生を生きているのか」という問いは、現在でも重要です。

人生の最後に「誰にも嫌われなかった」という結果だけが残っても、それが自分の望んだ人生だったとは限りません。人に嫌われないために、言いたいことを言わず、挑戦せず、断らず、自分の希望を抑え、周囲の期待だけを生き続けたのであれば、そこには大きな代償があります。

しかし、だからといって他人を無視して自分勝手に生きればよいわけでもありません。アドラー心理学が示しているのは、そのどちらでもない生き方です。自分の人生を引き受けながら、他者と協力する。自分の価値を認めながら、他者の価値も認める。他人の課題を支配せず、自分の課題からも逃げない。このバランスが重要になります。

まとめ――「嫌われる勇気」の先にあるもの

アドラー心理学は、「嫌われても気にするな」という単純な心理学ではありません。その中心にあるのは、人間は社会的で不完全な存在でありながら、成長する可能性を持ち、自分の人生について一定の選択可能性を持っているという考え方です。

私たちは過去を変えることはできません。生まれた家庭、過去の失敗、病気、他人の感情、社会のすべてを自分の思い通りにすることもできません。しかし、その条件の中で、今日どのように行動するかについては選べる部分があります。

誰かに親切にする。必要なことを伝える。失敗を認める。助けを求める。断る。学ぶ。挑戦する。人と協力する。自分にできることをする。人生を変えるとは、過去を消すことではありません。過去を持ったまま、次の一歩を選び直すことです。

そして人生の価値は、他人より優れていることだけで決まるものではありません。誰かの役に立つこと、人とつながること、自分が共同体の一員であると感じること、不完全な自分を受け入れながら、それでも人生の課題から逃げないこと。アドラー心理学が考えた幸福は、こうしたところにあります。

「嫌われる勇気」は、そのための入口にすぎません。その先にあるのは、他人からの評価に支配されず、それでも他者を大切にしながら、自分の人生を自分で引き受けて生きていく勇気です。

私たちは誰も、完璧な人生を生きることはできません。しかし、「この条件の中で、自分はどう生きるのか」を考えることはできます。アドラー心理学とは、その問いを私たちに投げかけ続ける心理学なのです。

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