ー心の奥へ降りていく、精神分析のもっとも有名で、もっとも不思議な技法ー

「思いついたことを、何でもそのまま話してください」
これが、フロイトの自由連想法をもっとも簡単に表した言葉です。
ただし、この一文だけを見ると、自由連想法はとても単純な方法に見えるかもしれません。好きなことを話す。頭に浮かんだことを話す。雑談のように、思いつくまま言葉を出す。そう考えると、「それのどこが治療なのか」「ただ話しているだけではないか」と感じる人もいるでしょう。
しかし、自由連想法は単なるおしゃべりではありません。むしろ、人間の心が普段どれほど自分自身を編集し、検閲し、隠し、整え、都合よく語っているのかを明らかにする技法です。
私たちは、日常生活の中で何でも自由に話しているようで、実はほとんど自由には話していません。話す前に、「これは言っていいことか」「相手にどう思われるか」「話の流れに合っているか」「恥ずかしくないか」「意味があるか」を瞬時に判断しています。つまり、私たちの言葉は、心に浮かんだものがそのまま外に出ているのではなく、すでに何度も加工された“完成品”として出てきているのです。
フロイトが注目したのは、その加工される前の心です。
言ってはいけないと思って飲み込んだ言葉。
くだらないと思って消した記憶。
関係ないと思って切り捨てたイメージ。
自分でも認めたくない感情。
なぜか繰り返し浮かぶ人物。
急に言葉が止まる瞬間。
笑ってごまかしてしまう話題。
話しているうちに、いつの間にか戻ってくる同じテーマ。
自由連想法は、そうした一見バラバラな心の断片を手がかりにして、無意識へ近づいていく方法です。フロイトは、人間の心は意識できる部分だけで動いているのではないと考えました。むしろ、本人が気づいていない欲望、恐れ、葛藤、記憶、怒り、罪悪感、愛情、喪失感が、現在の行動や症状、人間関係に影響していると考えたのです。
自由連想法とは、心の深い部分に埋もれている意味を、言葉の流れを通して探っていく技法です。それは、心の考古学のようなものです。地表に見えている症状だけを見るのではなく、その下に埋もれている記憶、関係、感情、欲望、葛藤を、少しずつ掘り出していく。だからこそ、自由連想法は精神分析の中心的技法となり、現代の心理療法にも大きな影響を与え続けています。
自由連想法の基本――「何でも話す」とはどういうことか
自由連想法の基本ルールは、非常にシンプルです。
患者は、心に浮かんだことをできるだけそのまま話します。内容がまとまっていなくてもよい。話の筋が通っていなくてもよい。急に別の話題に飛んでもよい。恥ずかしいことでも、くだらないことでも、攻撃的なことでも、治療者に対する感情でも、夢でも、昔の記憶でも、身体の感覚でも、何でもよい。
重要なのは、「これは言うべきではない」と自分で判断しすぎないことです。
たとえば、ある人が「最近、仕事がつらい」と話し始めたとします。普通の相談であれば、仕事量、人間関係、上司との関係、職場環境などを整理していくでしょう。しかし自由連想法では、そこから思い浮かぶことを自由にたどっていきます。
「上司を見ると緊張する」
「そういえば父も厳しい人だった」
「小学生のころ、テストで悪い点を取ったときに怒られた」
「そのとき台所に母がいた」
「なぜか味噌汁の匂いを思い出した」
「母は何も言わなかった」
「本当は助けてほしかったのかもしれない」
この流れは、論理的な面接として見るとかなり飛躍しています。仕事の話から父の話へ、父の話から小学生時代へ、そこから台所の匂いへ、さらに母への感情へ移っているからです。
しかし自由連想法では、この飛躍こそが重要になります。心は、論理の順番だけで動いているわけではありません。記憶は感情と結びつき、感情は身体感覚と結びつき、身体感覚は過去の場面と結びついています。現在の上司への緊張が、過去の父親への恐怖とつながっているかもしれない。父への恐怖の奥に、母に助けてほしかった寂しさがあるかもしれない。仕事の悩みとして語られていたものが、実は「評価されることへの恐れ」や「助けを求められない自分」と関係しているかもしれない。
もちろん、連想されたものをすぐに原因と決めつけることは危険です。自由連想法は、短絡的な謎解きではありません。「あなたの問題は父親です」「それは母親のせいです」と単純化する方法ではないのです。大切なのは、語りの流れを丁寧に追い、繰り返し現れるテーマや感情のパターンを、時間をかけて見ていくことです。
自由連想法の基本は、「心は自分が思っているよりも複雑であり、意味のないように見える言葉にも意味があるかもしれない」という態度にあります。
フロイトはなぜ自由連想法を生み出したのか
自由連想法は、最初から完成された技法として登場したわけではありません。フロイトはもともと神経学を学んだ医師であり、当初はヒステリーと呼ばれていた症状の治療に関心を持っていました。
19世紀末のヨーロッパでは、麻痺、失声、けいれん、感覚の異常など、身体に症状があるにもかかわらず、明確な器質的原因が見つからない患者がいました。当時、これらはヒステリーという枠組みで理解されることが多く、催眠法による治療が試みられていました。
フロイトも初期には催眠法を用いていました。催眠によって患者を通常とは異なる意識状態に導き、忘れられていた記憶や感情を呼び起こそうとしたのです。実際、催眠中に過去の出来事を語り、強い感情を表出することで症状が軽減する例もありました。
しかし、催眠法には限界がありました。すべての患者が催眠にかかるわけではありません。また、催眠状態では治療者の暗示の影響が強くなりすぎる危険があります。患者自身の主体的な語りというより、治療者が誘導してしまう側面もありました。
そこでフロイトは、催眠を使わず、患者が覚醒した状態で語る方法へと移っていきます。患者が自分の意識を保ったまま、思いつくことを話す。その言葉の流れの中から、忘れられた記憶や抑圧された感情、無意識の葛藤へ近づこうとしたのです。
ここに、自由連想法の大きな転換点があります。
治療者が患者を操作するのではなく、患者自身の言葉を手がかりにする。治療者が答えを与えるのではなく、患者の語りの中から意味が立ち上がってくるのを待つ。これは、精神療法の歴史において非常に重要な変化でした。
自由連想法は、「患者の言葉そのもの」を治療の中心に置いた技法です。人は自分の苦しみを完全には理解していない。しかし、語ることを通して、自分でも知らなかった心のつながりに出会うことがある。フロイトはそこに治療の可能性を見たのです。
無意識――自由連想法が向かう場所
自由連想法を理解するためには、フロイトの無意識概念を避けて通ることはできません。
私たちは普段、自分の心を「自分で分かっているもの」と考えています。自分がなぜ怒ったのか。なぜ悲しいのか。なぜ不安なのか。なぜその人が苦手なのか。なぜ同じ失敗を繰り返すのか。自分の心の理由は、自分が一番よく分かっていると思いやすい。
しかしフロイトは、そうではないと考えました。人間の心には、意識できる部分だけでなく、意識から締め出された領域がある。それが無意識です。
無意識には、本人にとって受け入れがたい欲望、怒り、恐怖、罪悪感、記憶、葛藤が含まれます。それらは意識から消えたように見えても、完全になくなったわけではありません。むしろ、症状、夢、言い間違い、身体症状、対人関係のパターン、繰り返される失敗などを通して、別の形で現れてくると考えられました。
たとえば、ある人がいつも権威的な人物の前で萎縮してしまうとします。本人は「自分はただ緊張しやすいだけ」と説明するかもしれません。しかし自由連想の中で、幼少期に厳格な親の前で常に失敗を恐れていた記憶が出てくるかもしれない。すると、現在の緊張は単なる性格ではなく、過去の関係性の中で形成された心の反応として理解できる可能性があります。
ここで重要なのは、無意識を「心の奥にある固定された真実」として単純に考えないことです。無意識は、地下室の箱の中にしまわれた過去の記録のようなものではありません。むしろ、現在の感情や行動に影響を与え続ける、動的な心の過程です。過去の記憶は、現在の人間関係の中で再び意味を持ち、現在の苦しみを形づくります。
自由連想法は、この無意識を直接見る方法ではありません。無意識は目に見えません。だからこそ、言葉の流れ、沈黙、言い間違い、話題の飛躍、感情の強まり、回避、反復といったサインから推測していきます。
それは、見えない川の流れを地形から読むような作業です。水そのものは地中に隠れて見えない。しかし、草の生え方、土の湿り気、地面の沈み方から、そこに流れがあることが分かる。自由連想法は、心の地形を読む方法なのです。
抵抗――自由に話そうとすると、自由に話せなくなる
自由連想法で非常に重要なのが、抵抗という概念です。
抵抗とは、無意識に近づこうとするときに働く心のブレーキです。患者は「何でも話してください」と言われます。しかし実際には、何でも話せるわけではありません。話そうとすると、急に恥ずかしくなる。くだらないと思ってやめる。関係ないと思って黙る。治療者に変に思われるのが怖くなる。ある話題になると眠くなる。急に話すことがなくなる。笑ってごまかす。話題を変える。
これらはすべて、抵抗として理解されることがあります。
抵抗は、患者が治療に協力していないという意味ではありません。むしろ、心が自分を守ろうとしている反応です。人間は、つらすぎる記憶や受け入れがたい感情に簡単には触れられません。もし一気に触れてしまえば、不安、混乱、羞恥、罪悪感、怒りが強くなりすぎるかもしれない。だから心は、それに近づかないようにします。
つまり抵抗は、邪魔者であると同時に、重要な情報でもあります。
どこで言葉が止まるのか。
どの話題になると笑うのか。
どの人物について語ると急に論理的になるのか。
どの感情だけは絶対に出てこないのか。
どの記憶を「たいしたことではない」と繰り返すのか。
そこに、心が守ろうとしている何かがあるかもしれません。
たとえば、患者が父親について話すときだけ、いつも淡々としているとします。「別に普通でした」「厳しかったですけど、昔はみんなそんなものです」と話す。しかし、その後に職場の上司の話になると強い怒りや不安が出てくる。このとき、父親への感情は抑えられ、別の対象にずれて現れている可能性があります。
自由連想法では、語られる内容だけでなく、語られ方が重要です。何を話したかだけでなく、どう話したか。どこで詰まったか。何を避けたか。どの感情が出にくいか。そうした語りの形式に、心の防衛が表れます。
防衛――心は自分を守るために現実を加工する
抵抗と深く関係するのが、防衛です。
防衛とは、不安や苦痛から自分を守るために、心が無意識的に行う操作のことです。人間は、受け入れがたい感情や欲望に直面すると、それをそのまま意識するのではなく、さまざまな形で変形させます。
たとえば、怒りを感じているのに「自分は怒っていない」と思い込む。これを否認と呼ぶことがあります。自分の中の攻撃性を相手に投影して、「相手が自分を攻撃している」と感じることもあります。つらい感情を知的な説明に置き換えて、感情そのものには触れない場合もあります。悲しみを感じる代わりに、相手を責め続けることもあります。
防衛は悪いものではありません。防衛があるからこそ、人は精神的な安定を保つことができます。もしすべての感情がそのまま意識に上がってきたら、私たちは日常生活を送れないかもしれません。
しかし、防衛が硬くなりすぎると問題が起こります。悲しみを感じられない人は、ずっと怒り続けるかもしれない。怒りを認められない人は、身体症状として苦しむかもしれない。依存したい気持ちを否認する人は、誰にも頼れず孤立するかもしれない。愛されたい気持ちを認められない人は、先に相手を拒絶するかもしれない。
自由連想法は、防衛を無理に壊す方法ではありません。防衛には、その人を守ってきた歴史があります。だから治療者は、防衛を攻撃するのではなく、「この人は何から自分を守っているのか」「この防衛はいつ必要になったのか」「今も同じ守り方が必要なのか」を慎重に見ていきます。
心の防衛を理解することは、その人の弱さを見ることではありません。むしろ、その人がどのように生き延びてきたのかを理解することです。
自由連想法は「記憶探し」だけではない
自由連想法というと、「幼少期の記憶を掘り起こす方法」と思われることがあります。確かに、フロイトの精神分析では幼少期体験が重要視されます。しかし、自由連想法は単なる過去探しではありません。
本当に重要なのは、過去が現在にどのように生きているかです。
たとえば、子どものころに親から十分に認められなかった経験がある人が、大人になってから上司の評価に過剰に左右されることがあります。この場合、問題は過去の出来事そのものだけではありません。過去の関係性が、現在の評価場面で再び作動していることが問題なのです。
自由連想法は、過去の記憶と現在の感情をつなぎます。昔の出来事を思い出すこと自体が目的ではなく、「なぜ今、この場面でこんなに苦しいのか」を理解するために過去を見るのです。
また、自由連想法では、記憶の正確性だけが重要なのではありません。もちろん事実確認は大切ですが、精神分析で扱うのは「その人にとって、その記憶がどのような意味を持っているか」です。同じ出来事でも、人によって意味は異なります。ある人にとっては何でもない言葉が、別の人にとっては深い傷になることがあります。
心の世界では、客観的事実と主観的意味の両方が重要です。自由連想法は、患者の主観的世界に入っていくための方法です。
転移――治療室の中に、過去の人間関係が現れる
自由連想法を続けていくと、患者は治療者に対してさまざまな感情を抱くようになります。
「この先生なら分かってくれる」
「見捨てられるのではないか」
「責められている気がする」
「もっと認めてほしい」
「なぜ黙っているのか腹が立つ」
「自分のことを嫌っているのではないか」
こうした治療者への感情は、現在の治療関係の中で自然に生じるものです。しかし精神分析では、それが過去の重要な人間関係の再現である場合があると考えます。これを転移と呼びます。
転移とは、過去に重要だった人物への感情や関係パターンが、現在の治療者に向けられる現象です。たとえば、厳しい父親のもとで育った人が、治療者の質問を「責められている」と感じるかもしれない。情緒的に不安定な親に振り回されてきた人が、治療者の少しの表情変化に敏感になるかもしれない。見捨てられる不安を抱えてきた人が、治療の休みや終了に強い不安を感じるかもしれない。
転移は、治療の邪魔ではありません。むしろ、治療の中核です。
なぜなら、転移の中には、その人が普段の人間関係で繰り返しているパターンが、生きた形で現れるからです。患者は日常生活でも、同じように相手を恐れたり、期待しすぎたり、失望したり、怒ったり、離れたりしているかもしれません。しかし日常生活では、そのパターンをゆっくり観察することは難しい。治療の場では、それを安全な関係の中で扱うことができます。
自由連想法では、患者が語る内容だけでなく、治療者との関係の中で起こっていることも重要になります。過去は、単に思い出されるだけではありません。現在の関係の中で再演されるのです。
治療者は何をしているのか――ただ黙っているわけではない
自由連想法では、患者が自由に話し、治療者はそれを聴きます。そのため、外から見ると、治療者はただ黙っているだけに見えるかもしれません。しかし実際には、治療者は非常に複雑な作業をしています。
治療者は、患者の話の内容を聴いています。同時に、話の流れ、感情の変化、沈黙、言い間違い、反復、矛盾、回避、治療者への態度を観察しています。どの話題が繰り返されるのか。どの感情が避けられるのか。どの人物が何度も登場するのか。どこで語りが急に浅くなるのか。どこで身体感覚が出てくるのか。
精神分析では、治療者に「均等に漂う注意」が求められるとされます。これは、最初から特定の情報だけに飛びつかず、患者の語り全体に広く注意を向ける態度です。
もし治療者が早い段階で「この人の問題は母親だ」「これはトラウマだ」「これは依存の問題だ」と決めつけてしまうと、患者自身の連想の流れを妨げてしまいます。自由連想法では、患者の心の動きが自然に展開することが重要です。治療者は、急いで答えを出すのではなく、語りの中に現れるパターンを待ちます。
そして必要なタイミングで、解釈や明確化を行います。
「今、その話になると少し言葉が止まりましたね」
「上司の話とお父さんの話に、似た感じがあるように聞こえます」
「怒っていると話されましたが、どこか寂しさもあるように感じました」
「その場面では、助けてほしい気持ちを出せなかったのかもしれませんね」
こうした介入は、患者に正解を与えるものではありません。患者が自分の心の動きに気づくための鏡のような役割を果たします。
自由連想法の治療的効果――なぜ語ることが変化を生むのか
では、自由連想法によってなぜ治療的変化が起こるのでしょうか。
第一に、言葉にすることで、曖昧だった感情が形を持ち始めます。人は、心の中にあるときには混沌としていた感情を、言葉にした瞬間に少し距離を取って見ることができます。「なんとなく苦しい」ではなく、「本当は怒っていた」「見捨てられるのが怖かった」「助けてほしかった」と言葉になることで、感情は理解可能なものになります。
第二に、過去と現在のつながりが見えてきます。今の苦しみが、現在の出来事だけでなく、過去の関係性や心のパターンと関係していると分かると、患者は自分を違う目で見られるようになります。「自分は弱いだけだ」「性格が悪いだけだ」と思っていたものが、「そうならざるを得なかった理由があった」と理解されることがあります。
第三に、繰り返しのパターンに気づくことができます。いつも同じような相手に依存する。いつも評価場面で萎縮する。いつも怒りを抑えて最後に爆発する。いつも助けを求められない。自由連想法は、そうした反復を見えるようにします。見えないパターンは変えられません。しかし見えるようになったパターンは、少しずつ選び直すことができます。
第四に、治療者との関係の中で、新しい体験が生まれます。これまで怒りを出すと関係が壊れると思っていた人が、治療者に怒りを語っても関係が続く経験をする。弱さを見せたら見捨てられると思っていた人が、弱さを語っても受け止められる経験をする。こうした体験は、単なる知識ではなく、情緒的な学習になります。
自由連想法の治療的効果は、「隠された原因を見つけること」だけではありません。自分の心の動きに気づき、それを言葉にし、他者との関係の中で新しく体験し直すことにあります。
自由連想法と現代心理学・脳科学
フロイトの理論は、現代の心理学や脳科学から見て、そのまますべてが支持されているわけではありません。特に、古典的な性欲論や発達理論の一部、夢の解釈の仕方などには多くの批判があります。また、精神分析は歴史的に、実証研究の方法が難しい領域でもありました。
しかし、自由連想法が示した重要な視点は、現代にも通じています。
それは、人間の心には意識されない過程があるということです。現代の認知科学でも、人間の判断や行動は意識的な思考だけで決まるわけではないと考えられています。自動的な注意、情動記憶、身体反応、暗黙の予測、過去経験に基づく反応パターンが、私たちの行動に大きく影響します。
たとえば、ある人の表情を見ただけで不安になる。ある匂いで昔の記憶がよみがえる。特定の声のトーンに過剰に反応する。理由を説明できないのに、ある場面を避けたくなる。こうした反応は、意識的な理屈だけでは説明しきれません。
自由連想法は、こうした意識以前のつながりを、言葉の連想を通してたどる方法と見ることもできます。
また、現代の心理療法でも、「語ること」「ナラティブを作ること」「自分の感情をメンタライズすること」は重要視されています。自分の体験を言葉にし、意味づけ、自分と他者の心の動きを理解することは、多くの心理療法に共通する治療要素です。
その意味で、自由連想法は古典的でありながら、現代的でもあります。もちろん、現代臨床では、自由連想法だけですべてを治療するわけではありません。症状の種類や重症度によって、認知行動療法、薬物療法、環境調整、家族支援、トラウマ治療、リハビリテーションなどが必要になります。しかし、「人は自分の語りを通して、自分を理解し直すことができる」という自由連想法の核心は、今なお重要です。
自由連想法を誤解しないために
自由連想法には、いくつかの誤解があります。
一つ目は、「思いついたことはすべて無意識の真実である」という誤解です。これは危険です。自由連想で出てきた内容は、重要な手がかりにはなりますが、それがそのまま事実や原因であるとは限りません。連想は、記憶、感情、想像、防衛、現在の関係性が混ざり合って生まれます。だからこそ、治療者は慎重に扱う必要があります。
二つ目は、「治療者が患者の無意識を正解として言い当てる」という誤解です。精神分析の解釈は、占いではありません。治療者が一方的に「あなたは本当はこう思っている」と決めつけると、患者の主体性は失われます。自由連想法で大切なのは、患者自身が自分の言葉の意味に気づいていくことです。
三つ目は、「自由に話せば誰でもすぐに治る」という誤解です。自由連想法は簡単な方法ではありません。自分の心に向き合うことは、ときに苦痛を伴います。つらい記憶や感情が出てくることもあります。そのため、十分な治療構造、安全な関係、専門的な判断が必要です。
四つ目は、「現代ではもう古い」という誤解です。確かに古典的精神分析の枠組みには批判もあります。しかし、無意識的過程、抵抗、防衛、転移、反復、語りによる自己理解といった視点は、現代の精神力動的心理療法や臨床心理学に大きな影響を残しています。
自由連想法は、フロイトの時代の遺物ではありません。人間の心を深く理解するための、今なお刺激的な入口なのです。
一般の人にとって自由連想法が教えてくれること
自由連想法は、専門的な心理療法の技法です。そのため、自己流で深刻なトラウマを掘り起こすような使い方は勧められません。しかし、その考え方から一般の人が学べることは多くあります。
まず、自分の中に浮かぶ「関係なさそうなこと」をすぐに切り捨てないことです。日記を書いているとき、誰かと話しているとき、ふと昔の記憶が浮かぶことがあります。普通なら「関係ない」と流してしまうかもしれません。しかし、その記憶は今の感情とどこかでつながっているかもしれません。
次に、同じテーマが繰り返し出てくるときは注意してみることです。いつも評価の話になる。いつも見捨てられる不安が出る。いつも怒りを我慢する話になる。いつも「自分が悪い」と結論づける。そうした反復には、心の癖や防衛が表れていることがあります。
さらに、「言葉にならない感じ」を大切にすることです。まだ明確な説明はできないけれど、胸が詰まる。涙が出そうになる。身体が重くなる。なぜか話題を変えたくなる。こうした反応は、心が何かに触れかけているサインかもしれません。
自由連想法の精神は、「自分の心を急いで整理しすぎないこと」にあります。私たちはすぐに正解を出そうとします。理由を説明しようとします。きれいな物語にまとめようとします。しかし心は、最初から整理されているわけではありません。混乱、矛盾、ためらい、沈黙の中から、少しずつ意味が生まれてくることがあります。
まとめ――自由連想法は、心の地下に降りる冒険である
フロイトの「自由連想法」とは何か。
それは、患者が心に浮かんだことをできるだけ検閲せずに語り、その言葉の流れを通して無意識の葛藤や感情のパターンに近づいていく精神分析の基本技法です。
しかし、自由連想法の本質は、単に「自由に話すこと」ではありません。むしろ、「自由に話そうとしたときに、なぜ自由に話せないのか」を見ていく方法です。
何を話すのか。
何を話せないのか。
どこで沈黙するのか。
どの話題を避けるのか。
どの感情が繰り返し出てくるのか。
治療者にどのような感情を向けるのか。
過去の関係が、現在の関係にどう現れるのか。
自由連想法は、そうした心の細部を丁寧にたどります。
人間は、自分のことを分かっているようで、実は分かっていません。自分の怒りに気づかないことがあります。自分の寂しさを認められないことがあります。助けてほしいのに、相手を拒絶してしまうことがあります。愛されたいのに、先に距離を取ってしまうことがあります。過去の傷が、現在の人間関係の中で何度も繰り返されることがあります。
自由連想法は、そうした「自分でも知らない自分」に出会うための方法です。
それは、心の地下に降りていく冒険です。
暗く、複雑で、時に怖い場所かもしれません。
しかし、そこには忘れられた感情、語られなかった記憶、言葉を待っている痛みがあります。
そして、その痛みに言葉が与えられたとき、人は少しだけ自分を違う目で見られるようになります。
「自分はおかしいのではなく、そう感じる理由があった」
「自分は弱いのではなく、守るためにそうしてきた」
「今の苦しみは、過去の関係とつながっていた」
「同じパターンを、これからは少し変えられるかもしれない」
自由連想法が今もなお魅力的なのは、人間の心を単純化しないからです。症状だけを見るのではなく、その人の歴史を見る。言葉だけを聞くのではなく、沈黙を聞く。意識された理由だけでなく、その背後にある無意識の意味を探る。
フロイトの自由連想法は、精神分析の古典でありながら、今なお私たちに問いかけます。
あなたが言えなかった言葉は何か。
何度も繰り返している物語は何か。
なぜ、その人の前でだけ苦しくなるのか。
なぜ、その記憶だけが今も心に残っているのか。
そして、あなたの心は本当は何を語ろうとしているのか。
自由連想法とは、心の奥に眠る声を聴くための技法です。
そしてその声は、最初は小さく、まとまりがなく、意味不明に聞こえるかもしれません。しかし、丁寧に聴いていくと、そこにはその人の人生を形づくってきた深い物語が隠れています。
だからこそ、自由連想法は面白いのです。
それは、心を診断名だけで見ない。
症状だけで人を見ない。
表面的な言葉だけで分かった気にならない。
人間の心には、まだ本人にも発見されていない物語がある。
フロイトの自由連想法は、その物語の入口に立つための方法なのです。


コメント